第一幕:麻縄の絶望

「いつの時代か」なんて始まりは
ボクらには必要がない。
ーーずっと過去かもしれない。
はるか遠い場所の未来なのかも・・・・・・
しれないからーー。

 とある大学の一室。
古びて色褪せた書籍ばかりが積み上がってる部屋があったんだ。

 そこには、老いぼれて立つことすら、
億劫になった男がいた。
それが、ボクだ。
ーーいや、ボクだった。
彼はボクであり、ボクではない。

 ・・・・・・まあ、いいさ。
ボクはファウスト。
ヨハン・ゲオルク・ファウストだよ。
 親しいものからは、ドクトル・ファウストまたはファウスト博士と呼ばれてる。
君らには、ぜひボクをファウストと呼んでくれないか?

 この物語は、ゲーテが幻視した「ファウスト」とは、少しだけ違った物語なんだ。

ボクの言いたいこと、わかる?

ーーさあ、この老人が何かを呟いている。
ボクらは彼の声を聞き逃してはならない。

老人は、こう言った。
「私には昨日というものが存在しない」

ーーなんで、彼はこんな事を言ったのか。
彼は大学の講師で、
知識も知恵も他の連中よりも、
はるかにマシな人種だ。
なんで、こんなバカなセリフを呟かなきゃならない?

ーーそれはね、彼が持つモノは全て
誰かの借り物なのだからさ。
自分で得たモノは何一つなく、
極めていくうちに、自分の無能っぷりが、
確実に首を絞めてくる。
 こんな苦しみを死ぬまで味あわせるよりか、ボクなら麻縄を彼に提供する。

使い方は、わかるだろ?

麻縄が、突然に彼の目の前に投げ出される。
彼の目が大きく見開かれた。


彼は麻縄をつかむために、座っていた椅子から立ち上がって、それに近づく。
「一体どこから・・・・・・」
なんて彼は思ったろうね。

なぜかって?
ちょうど欲しかったからさ。

 彼は震えていたよ。身体全体で。
ぶるぶると麻縄をつかむと、
それを慎重に調べた。
まるで麻縄にどこからきて、
どこへ行くのかとでも問いかけるように。

 彼は唐突に弾けるように顔を上げ、
虚空に向かって罵詈雑言を浴びせた。
唾液が宙を舞って落ちていった。
バカみたいだーー。
天に吐いた唾は地上へと戻ると言うのにね。
「おお、神よ!くたばってしまえ!これで、俺に何をさせようと!?
忌まわしい、呪われてしまえ!
はじめて、俺はお前を憎む!
天上の残酷な主人め!」
演劇めいた事をやっても彼は狂えない。
理性的な部分が、彼を引き留めるんだ。
現実に。

「ああ、未知が、未知が欲しい。
それを手に入れさえすれば、
きっとこの飢餓感から解放される。
誰も俺をバカにはすまいーー。」

怒りと嘆きは地獄のファンファーレ。

悪魔を呼ぶには、ちょうどいい。

さあ、聞こえてこないか。

君たちの足元から哄笑と地響きが。

聞こえるだろう…。

きっと…。

きっとさ…。

神を呪うかバカものめ。
お前は彼の愛そのものなのに
自ら祝福に唾をはく

天に唾吐きし呪いは
お前に更に苦痛を与えるぞ

まあ、いいさ。
空からは呪いは戻らぬが
大地の底から応えよう
硫黄と闇をまとうのは

ルシフェルにすら
いちもく置かれる
このオレさ
メフィストフェレスが現れた。

一代目、二代目、三代目だと?
本家はオレさ。オレのみさ。
地獄の同胞よ、
天使のように歌って讃えよ
オレが地上に現れる。

歌が部屋中を揺るがせた。

本棚や机が、自ら意思を持ったかのように、大地からわきあがる旅人を出迎えた。

部屋の形はかわり、老いた男の前には、別の男がいた。

 黒のタキシードの上から黒い外衣をひっかけた、端正だが小狡そうな金褐色の短髪をした金色の目を持った青年が現れたのだ。

とまあ、劇的な登場シーンを話した。

どうだい、雰囲気にあったろう。

悪魔たちの詩は、緩やかに消えていく。

 老いた男ファウストは口をしばらく開けていた。自分は狂ったのかと、確認した結果、彼の洞察はこれが幻覚の類ではないと告げていた。

「お、お前は誰だ?」と思わず口にする。

すると目の前の男は不敵な笑みを浮かべて、こう言うんだ。

「誰? 博士、バカいっちゃあいけないさ。オレを誰だなんて、頭の限界がしれる。」詩でも唄うように、彼は嘲る。

「君は、こう聞くべきだった。

本当に知性が高いなら。

“どういう存在なのか”・・・・・・と。

まあ、いいさ。」

 彼はとびきりの礼儀ただしさを、ファウストにむけた。 だが、心からじゃない。嘲笑と侮蔑を適度に混ぜた礼儀さ。 きっと君らが食べたら吹き出しちゃうぞ。 あまりの苦さに。

「オレはメフィストフェレス。 君たちの言うところの悪魔さ。

悪魔と気軽にいってもいいが、

親しい者にはルシフェルの影とか呼ばれた事もある。

ねぇ、ファウスト博士。

君にはオレをメフィストと呼んでほしい。いいかな?」

いいかな?

そう声は部屋中に響き渡り、虚空へと飲み込まれるんだ。

この出会いは、永遠だ。

また誰かがファウストを語るのなら、

この出会いは、永遠でなければならない。

こうして第一幕は閉じる。

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